フツーじゃない女子?
2007年5月13日
今日は母の日なので頼んでいたドゥーブルフロマージュを美味しく頂きました。
うんめぇ。
年寄り向けの化粧水も渡しまんた。
母が私は大好きなんどす。めぐです。
私がいつもストーカーのように見ているしょこたんぶろぐにしょこたんが学生時代の悲しい話を書いていたので悪いけど笑ってしまった。
昔友達からプリクラ帳見せて!と言われ、そんなの持ち合わせていなかったのでよく分からない手帳にやたら撮った一人プリクラを貼り付けて友達に見せたらドン引きされたという話だった。
とってもカワユスなお話。
私もこういう経験をとにかくしていたのだった。
同じ一人っ子だからか???
しょこたんカワユスなぁ。
関係ないけどしょこたんがラーメンマンになり半目で写っている写真を待ち受けにしとります。
私はキミエの育て方にちょっと意義アリなのだが、どうも世間の母親よりはかなり放置ぎみな育て方だったと思う。
片親だったので放置も仕方ないが愛情の注ぎ方もクールだったと思う。
私も小学校に入ってからはあんまりベタベタしなかった記憶がある。
それもクールな私にはいい配分であった。
甘えたい時だけ愛情を頂けるのは束縛嫌いな私にはもってこいだったと思う。
最終的には絶対愛されているという余裕があったのだ。
特に勉強しろ!だの言われなかったので私は純粋に勉強をしなかった。
宿題をしない子でもあったがあんまり先生がやかましいので文句を言いながらしたり。
先生がうるさいからという理由が子供らしい。
しかも算数と国語の宿題があったら国語しかしないとかそんなレベル。
その様を見ながらもキミエはやらない私を叱るというよりも促す程度の押し方であった。
『困るのは自分』と毎回言われていたがさして困らなかったので自由きままにやったりやらなかったりである。
いやいやきっと困った事にはなっていたと思うが当時はラクする事の方が大切だったのだと思う。
挙げ句夏休みの宿題はハナからヤル気がなかった。
そして夏休み明けに『やってません』とヘラヘラ言うのであった。
なんだ、その大物キャラ。
でも自分が得意なジャンルとか、全く得意ではない絵画はやっていた。
意味が分からん。
その後いついつまでやってこいと言われてもやらなかった。
大物は頑固であった。
そんなに面倒だったのであろうか???
今考えてみても全く意味が分からん。
『やってません』って言う方がよっぽど面倒なのに。
しかも歳をとるにつれ『困るのは自分』を身をもって体験した私であった。
そんな自由な育ち方をした私だが本格的に自分が確立する時期に本気で焦る事となる。
チェッカーズに夢中になっている少学6年生の頃にやや気付いた。
ます宿題をやらなくて『やってません』と言っていた自分を思い出し震える。
何でそんなに人と違う事をするのだろうか???
そういえばランドセルも自分的にはナシだったので3年生で止めた。
しっかりしたバッグをキミエに買って貰い嬉しくそれで通っていた。
キミエもそんなの買い与えるなよ〜
どうもキミエは私の意志を尊重しすぎる子育てをモットーにしていたようだ。
そのお陰で本当に意志を大切にする一般的には変わった子供になってしまったではないか。
これを修正するにはとんでもない努力が必要だったのだ。
今やっと人並みになってきたので言える事だが、ちょっとした賭け気分がキミエに無かったとは言えない。
なんだよ、キミエ。
何とかまともな大人になった私だが隠せない変わった風はどうにもならないじゃないの。
ま、最近はそれを自分の個性だと思えますけどね。
うんめぇ。
年寄り向けの化粧水も渡しまんた。
母が私は大好きなんどす。めぐです。
私がいつもストーカーのように見ているしょこたんぶろぐにしょこたんが学生時代の悲しい話を書いていたので悪いけど笑ってしまった。
昔友達からプリクラ帳見せて!と言われ、そんなの持ち合わせていなかったのでよく分からない手帳にやたら撮った一人プリクラを貼り付けて友達に見せたらドン引きされたという話だった。
とってもカワユスなお話。
私もこういう経験をとにかくしていたのだった。
同じ一人っ子だからか???
しょこたんカワユスなぁ。
関係ないけどしょこたんがラーメンマンになり半目で写っている写真を待ち受けにしとります。
私はキミエの育て方にちょっと意義アリなのだが、どうも世間の母親よりはかなり放置ぎみな育て方だったと思う。
片親だったので放置も仕方ないが愛情の注ぎ方もクールだったと思う。
私も小学校に入ってからはあんまりベタベタしなかった記憶がある。
それもクールな私にはいい配分であった。
甘えたい時だけ愛情を頂けるのは束縛嫌いな私にはもってこいだったと思う。
最終的には絶対愛されているという余裕があったのだ。
特に勉強しろ!だの言われなかったので私は純粋に勉強をしなかった。
宿題をしない子でもあったがあんまり先生がやかましいので文句を言いながらしたり。
先生がうるさいからという理由が子供らしい。
しかも算数と国語の宿題があったら国語しかしないとかそんなレベル。
その様を見ながらもキミエはやらない私を叱るというよりも促す程度の押し方であった。
『困るのは自分』と毎回言われていたがさして困らなかったので自由きままにやったりやらなかったりである。
いやいやきっと困った事にはなっていたと思うが当時はラクする事の方が大切だったのだと思う。
挙げ句夏休みの宿題はハナからヤル気がなかった。
そして夏休み明けに『やってません』とヘラヘラ言うのであった。
なんだ、その大物キャラ。
でも自分が得意なジャンルとか、全く得意ではない絵画はやっていた。
意味が分からん。
その後いついつまでやってこいと言われてもやらなかった。
大物は頑固であった。
そんなに面倒だったのであろうか???
今考えてみても全く意味が分からん。
『やってません』って言う方がよっぽど面倒なのに。
しかも歳をとるにつれ『困るのは自分』を身をもって体験した私であった。
そんな自由な育ち方をした私だが本格的に自分が確立する時期に本気で焦る事となる。
チェッカーズに夢中になっている少学6年生の頃にやや気付いた。
ます宿題をやらなくて『やってません』と言っていた自分を思い出し震える。
何でそんなに人と違う事をするのだろうか???
そういえばランドセルも自分的にはナシだったので3年生で止めた。
しっかりしたバッグをキミエに買って貰い嬉しくそれで通っていた。
キミエもそんなの買い与えるなよ〜
どうもキミエは私の意志を尊重しすぎる子育てをモットーにしていたようだ。
そのお陰で本当に意志を大切にする一般的には変わった子供になってしまったではないか。
これを修正するにはとんでもない努力が必要だったのだ。
今やっと人並みになってきたので言える事だが、ちょっとした賭け気分がキミエに無かったとは言えない。
なんだよ、キミエ。
何とかまともな大人になった私だが隠せない変わった風はどうにもならないじゃないの。
ま、最近はそれを自分の個性だと思えますけどね。
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