6/18 藤井尚之『TIME AFTER TIME・SEPIA in 名古屋』?変わらぬ想い。
尚の音楽的才能にうっとりしている女子達である。
あ〜ステキ。
そんな思いもMCではすぐに消え、即座に毒づく私達であるが。
何にしてもメリハリは大事である。
めぐです。

一部でも気になっていたのだが本日も尚の股である。
あんなに股を主張する子だったっけ?
巨人選手のキヨやピカとは違う主張の仕方である。
類似の主張系といえば堂珍が思い出される。
堂珍も何気ないシラっとした顔で股を主張しまくりのステキなボーカリストである。
一部では皮パンだったので皮のもたつきだと思い見過ごす事にしていた。
しかし二部は綿パンだったのに具が分かる程の主張の仕方である。
綿パンで主張できたら一人前だと勝手に決めている私だが、できれば尚はそんな主張はしないでいて欲しい。
勝手ではあるが人には向き不向きがあるのだ。
しっかり具が分かる仕組みとか別に望んじゃいなかった。
今まで全くそんな気配はなかったが結婚してからそれが浮き彫りになってきた。
独身の頃は何か股にはさんで警戒していたのか?
それだったら今でも警戒は忘れないで欲しい。
最前列で股ばかり見て何が『音楽ファン』だか我ながらバカバカしいと思う。
左手の結婚指輪を外していたのはいいが右手にソイツが見えるじゃん。
右手だったら良いとかそんな簡単な話じゃないのだ。
くそ〜、尚のヤツ!

そんなややこしい感情を抱きながらこの曲である。
この曲とは今回のアルバムの『変わらぬ想い』という曲だ。
数回しかこのアルバムは聴いてないのだが、この曲は初めて聴いた時から『殺される・・・』と思った。
もちろんインストなのだが尚のソプラノから出てくるメロディは胸をギュっと掴まれる仕組みになっていた。
車で初めて聴いて死にかけた私は慌ててタイトルを見た。
そこには『変わらぬ想い』と記されてあった。
そうなのだ。
私は尚が結婚してからずっと心にモヤがかかっている。
しょうがないと思ってもどうしても晴れる事のないモヤに悩み疲れていた。
それは私の尚へ対する『変わらぬ想い』からくるジレンマである。
純粋にただ音楽や人間としての尚を愛したいが、やっぱり違う『好き』が邪魔をする。
望んでいない以前より質の落ちた『変わらぬ想い』が私を苦しめている。
尚の心地よいメロディに涙を浮かべた。
私の『変わらぬ想い』はこんなに穏やかなメロディではない。
どうせ変わらない想いなんだったらそんな心にジンとくるメロディの想いになりたい。
聴きながらちょっとだけだが道は見えた気がした。
私の好きな人は間違いはないのだ。
尚は口では何も安心するような事は言ってくれないが音楽でちゃんと安心させてくれる。
そんな尚に甘えっぱなしな私だがそんな尚に恥じないようにしなくちゃ。
しかしまだ懐が狭い私は更にややこしい感情にシビれてしまうのだった。

*写真は打ち上げで食べたエビフリャーですよ。
 でかくて旨くてそしてかなり熱かった。

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