工藤、200勝!
2004年8月21日日常に日記に戻ると言ったものの、いきなりこんな祝い事がきてしまうと自分でも閉口する。
が、それはそれって事だ。
めぐです。
しかもこの工藤の200勝が決まった日は、クロベエの訃報を聞いた日であった。
SAKUちゃんとご飯を食べ、私の部屋に戻ってTVを点けると工藤が激闘していた。
今からチェッカーズのビデオを見よう!という事になっていたが、ひとまず工藤の200勝を祝いたい気分だった。
何とも余裕がある感じだが、まだ実感が湧かなかったのだろう。
これからどんどん実感が湧いてきて辛くなるのは分かりきっているので、今のうちに平常心を楽しみたかったのである。
私達は前の優勝が決まる日を待ちわびているように、試合を観ていた。(7回の始めからである)
せっかく工藤の200勝が決まりそうな日なのに、負けているではないかー?
さぁ、これから攻撃なので頑張ってくれよ!などと思っていると、なんと!工藤がホームランを打ったではないか!
これで逆転である。
これには訃報に頭を垂れていた私達も純粋に驚き喜んだ。
スゲーな。
また驚く事にプロ初のホームランらしい。
そんな快挙を、これから歴史に残るであろう日にしてしまった工藤は本当にスターである。
無邪気に大喜びで塁を走る工藤は、光GENJIのかーくんに似てると言われていた時の工藤と変わっていなかった。
なるべくしてなっているのだ。
私は念仏のように『スターはスゴイな』と何度も呟いた。
そして8回。
私達は『自分達が野手だったら』などというシュミレーションをして何度も震えた。
ライトにやたら球がいっていたので、オリンピックに行っているブーの代わりに出ている堀田の心配で大変であった。
もし落とそうものなら工藤に罵倒され、そしてまた2軍落ちである。
私が堀田だったらテンパってわざわざ落としかねない。
良かった、一般人で。
9回の続投は危ぶまれたが、こんなトコで出される選手の立場になって欲しい。
私だったら2軍落ちしても構わないので拒否しただろう。
投球練習をしていた岡島も呼ばれる事はなく、工藤の続投であった。
そりゃそうだろ。
そして200勝を工藤は自分の手で決めた。
これはメデタイ。
何度も『工藤公康、23年目』という文字を見て震えたものだ。
よく23年も頑張っているなと思う。
スゴイとしか言いようがない。
ヒーローインタビューで『さては今季で引退するつもりでは?』という加減が伺われなくもなかったが、きっとまだまだやってくれるだろう。
桑田も頑張って次に習って欲しい。
後日張本が『工藤の200勝は遅い位だ。桑田?ムリでしょう』などと言っていたのに頭にきて泣いた。
『毒舌な張さん』は分かるが、そんな事勝手に言うなー!
私も『毒舌なめぐ』で通っているのだが、そんな優しさのカケラもない言葉は吐かないでいよう。
奢るなかれ・・・である。
私とSAKUちゃんはきっとこの日を一生忘れないでいると思う。
クロベエが亡くなった日に200勝を決めた工藤。
もちろん工藤は後付けなのだが、きっとどっちも心に刻まれた。
ただ工藤が200勝したのだったら忘れるだろうが。
そんな日であった。
が、それはそれって事だ。
めぐです。
しかもこの工藤の200勝が決まった日は、クロベエの訃報を聞いた日であった。
SAKUちゃんとご飯を食べ、私の部屋に戻ってTVを点けると工藤が激闘していた。
今からチェッカーズのビデオを見よう!という事になっていたが、ひとまず工藤の200勝を祝いたい気分だった。
何とも余裕がある感じだが、まだ実感が湧かなかったのだろう。
これからどんどん実感が湧いてきて辛くなるのは分かりきっているので、今のうちに平常心を楽しみたかったのである。
私達は前の優勝が決まる日を待ちわびているように、試合を観ていた。(7回の始めからである)
せっかく工藤の200勝が決まりそうな日なのに、負けているではないかー?
さぁ、これから攻撃なので頑張ってくれよ!などと思っていると、なんと!工藤がホームランを打ったではないか!
これで逆転である。
これには訃報に頭を垂れていた私達も純粋に驚き喜んだ。
スゲーな。
また驚く事にプロ初のホームランらしい。
そんな快挙を、これから歴史に残るであろう日にしてしまった工藤は本当にスターである。
無邪気に大喜びで塁を走る工藤は、光GENJIのかーくんに似てると言われていた時の工藤と変わっていなかった。
なるべくしてなっているのだ。
私は念仏のように『スターはスゴイな』と何度も呟いた。
そして8回。
私達は『自分達が野手だったら』などというシュミレーションをして何度も震えた。
ライトにやたら球がいっていたので、オリンピックに行っているブーの代わりに出ている堀田の心配で大変であった。
もし落とそうものなら工藤に罵倒され、そしてまた2軍落ちである。
私が堀田だったらテンパってわざわざ落としかねない。
良かった、一般人で。
9回の続投は危ぶまれたが、こんなトコで出される選手の立場になって欲しい。
私だったら2軍落ちしても構わないので拒否しただろう。
投球練習をしていた岡島も呼ばれる事はなく、工藤の続投であった。
そりゃそうだろ。
そして200勝を工藤は自分の手で決めた。
これはメデタイ。
何度も『工藤公康、23年目』という文字を見て震えたものだ。
よく23年も頑張っているなと思う。
スゴイとしか言いようがない。
ヒーローインタビューで『さては今季で引退するつもりでは?』という加減が伺われなくもなかったが、きっとまだまだやってくれるだろう。
桑田も頑張って次に習って欲しい。
後日張本が『工藤の200勝は遅い位だ。桑田?ムリでしょう』などと言っていたのに頭にきて泣いた。
『毒舌な張さん』は分かるが、そんな事勝手に言うなー!
私も『毒舌なめぐ』で通っているのだが、そんな優しさのカケラもない言葉は吐かないでいよう。
奢るなかれ・・・である。
私とSAKUちゃんはきっとこの日を一生忘れないでいると思う。
クロベエが亡くなった日に200勝を決めた工藤。
もちろん工藤は後付けなのだが、きっとどっちも心に刻まれた。
ただ工藤が200勝したのだったら忘れるだろうが。
そんな日であった。
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